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Discussion

芸術家はなぜ作品をつくることができるのか?

「確認」する (高島芳幸)

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田島: 高島さんの経歴をブログから拾ってきたんですけど、学校は・・・

高島: 僕は普通の大学です。

田島: 美大出たわけではなくて・・

高島: 僕は今教員してますけれども美大というよりも教育学部の中で美術を学んできたということです。

田島: 経歴が小さな字で申し訳ないんですけど、大変たくさんの経歴で、いろんなところのグループ展、個展で、受賞歴も多数ある方です。特に、2009年松代現代美術フェスティバル、松代といえば、旧日本軍が終戦間際にそこに大本営を移そうというトンネルが作られたというところで有名ですが、(高島さんが)そういう美術展に出られたということは大きな意味を持っています。では高島さんのお話を・・・

高島: 改めまして高島芳幸と申します。実は中之条ビエンナーレとは縁がありまして、今回が5回目になります。ですから2回目から参加しています。すべてインスタレーションと言われる、空間の中にモノを展示する作品で、彫刻的なものを持ってきて展示するというよりも、その場とかその状況の中で・・・そういうことも全部含めて作品にしたいと考えています。せっかくこういうところでやるわけですのでそこの場、歴史や風土なども意識した、出来るだけそういう作品を心がけてやってきました。僕自身は(大学の)卒業は絵画で卒業しています。今でもギャラリーでやるときは絵画的な仕事を中心にした発表をしています。

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MDUS Art Project 16

​「関係Sept.2017 at 旧五反田学校/あるいは旧五反田学校の教室を松代大本営象山地下壕のズリとゴム糸で確認する」

高島: 今回の(中之条ビエンナーレの展示は)旧五反田学校の教室ですね。この教室に、見てお分かりのように床に石を2つずつ積んであります。その間に細い糸・・・これは実はゴム糸になっていますが・・・これを天井の一番上の梁のところから引いて(積んだ2つの石の間に)挟んであります。この教室に最初に入ったときに、まず天井の高い学校・教室だなって(思いました)・・・塗り壁なんですね、あとで調べたら108年前ですから・・・1909年に建てられた。当時五反田の人が総出で地ならしなど共同作業をして作ったものです。この空間自体を自分で変えていくというよりも、この空間自体を是非皆さんにも改めて確認していただいて感じてもらえればなと思いました。いつもそうなんですが、だいたい空間をお掃除するのが仕事の8割くらいでして、そこの場所の掃除をしながら床や壁がどのように使われてきたかなどを確認することから制作を始めます。

 今も思い出しますが、最初にこのビエンナーレに参加したとき(2009年)には、伊参(いさま)スタジオの校庭の一番奥に「眠る男」のセットの廃屋がありました*。(*『眠る男』(ねむるおとこ)は、小栗康平監督により制作され1996年に公開された映画で、群馬県が地方自治体として初めて製作に関与した映画として話題となった。ロケは中之条町や群馬県内で行われ、町内の伊参(いさま)地区にある廃校となっていた旧町立第四中学校にセットが作られ撮影が行われた。旧町立第四中学校は現在「伊参スタジオ」という名称で映画関係資料を公開している。中之条ビエンナーレの展示会場としても使用されている。)

 この時もここいいなと思って、使わせていただいたんですけど、何しろ壁は穴が空いてるし、床は剥いであるし、元々廃屋のセットとして作ってあって手入れもされてないんですけれど、そこを掃除するのが今まで一番大変でした。どんなに水拭きしても全然キレイにならなくて、最後、学校にある木材用のワックスをかけて掃除をしました。上の方にはスズメバチの巣があって、知らないうちにスズメバチが飛んでて、当時の唐沢さん(中之条町役場職員。当時中之条ビエンナーレ担当)が防護服を着て取ってくれた思い出があります。今回もそんなにキレイに掃除はできなかったですが、100年間の時間を感じることはできました。

    この空間ですが、全部で16本の柱が入っています。天井が暗くて、教室というよりも、中世の教会の雰囲気なんかも感じさせるような(場所で)とても印象に残って、この空間を使うことにしました。

 先ほど田島さんが、松代大本営の話をしていただきましたが、2009年に、松代大本営跡を中心に、中之条ビエンナーレと同じような松代現代美術フェスティバルという展覧会があってそれに参加した時に作った作品が、このズリを使って制作した最初の作品です。その時はですね、松代藩文武学校の剣術所という大きな道場が会場だったんですね、ここにズリを配置して天井から垂直にゴム糸を引いてその空間を確認するという作品でした。その後、このズリを使って日本各地の自然とか建物の空間を確認する仕事を始めました。これが16箇所目になります。

田島: ズリというのは石、つまり穴を掘って採掘して要らなくなった岩石ですね。

高島: ズリですが、(松代大本営の工事では)1944年の11月11日、午前11時11分、この1のゾロ目の時に発破をかけてダイナマイトで崩して、終戦のとき45年8月15日まで、9か月間、突貫工事するわけです。延べ1万人の朝鮮人と日本人が過酷な労働の下10キロほどの地下壕を掘ったんですね。終戦で完成途中で中止になったんですけれども、当時は東京は空襲で街は破壊されてしまい、すべての首都機能や皇居・軍部も移転する計画が秘密裏に立てられたのです。日本各地で幾つか岩盤の強いところがリサーチされ、最後に残ったのが長野県の松代です。今もそこ(松代大本営跡)を見学することができます。大本営は完成できなかったのですが、天皇が住むところだけは完成しました。今はどういうふうに使われているかというと、松代地震観測所が利用しています。岩盤の強いところに地震計が置かれて観測が行われています。ズリっていうのは発破で爆破されて、出てきた破砕石のことをいうのですが、そのことをむこうではズリと言っているんですね。

 正確にはアートプロジェクトという言葉が相応しいのかどうかわからないですけれども、日本全国の色々な空間をその当時の社会や時代の空気に身を置いて確認する。「今」を見るというのがこのシリーズの趣旨です。ただ見てもらえばわかるとおり、そんなこと知っても知らなくても関係なく作品があるわけなので、先入観なく入っていただいて、この空間を見ていただければなと思っております。

田島: 話の途中ですが質問です。あの、ズリを置く、という時に、感覚的に空間を確認しているんだと思うんですけれども、それというのはどういうことを意識して・・・あるいは意識しないでいるんですか?

高島: あのう、先ほど話しましたが私は元々大学では絵画を中心に専門として学んだのですが、基本的に空間の中に石を置くっていうのは、私にとっては絵画制作と同じようなところで空間や自身との関係を判断して、描く行為と同じようにしてやっているというわけですね。今回だったら柱・・・16本の柱と、その柱の前に立って、私と柱との関係、それから周りの空間との関係、近寄ったり後ずさりしながら、柱と柱の丁度ね・・・柱と壁との持っている領域みたいなものですね、それからグーっと離れていくと対象化して見ることのできる、それは自分の感性として対象を捉えるという距離、その距離を、行ったり来たりっていうか・・・ここが一番物の領域と私の領域どちらの領域にも行ける、一番空白の場所だなっというところで、石を置いて関係を作っていくわけです。

田島: バランスを取っているんですか? 何かここだっていうところを探っているっていう感じ・・・

高島: うーん、そうですね、体が気持ちいいところ、自由に体を置けるところです。なんかね・・・なんだろうね・・・

田島: 石は重さがある。それを持ちながら・・・柱と対峙して・・・距離を・・・取る。「距離」ってう言葉が出てきましたけど、これは非常に重要なキーワードなんですが、それから「確認」という言葉もそうですね。

高島: 「視線・視点」っていうのも・・・

田島: 自分の視点だけじゃないところから見てるっているのも、あると思うんですけど

高島: 逆にいうと見えるんですよね、僕なりに。田島さんなりに。水野さんも。見ていると逆方向の視線というものも必ず考えるし、想像もするし感じることってあるんですね。

水野: 結局、返ってくるという感じ。また出てったり返ったりする感じありますよね。

田島: このゴムの糸ですか。まっすぐに或る緊張感を持って張られていますね。それは、そのこと(石を置いたこと)を記録するようなものではないでしょうか。

高島: そうですね。

田島: 「これを私が距離として決めたよ」という・・・五反田小学校に行かれた方はこういう展示を見て、「なんだ?」と思って(作品を理解できなくて会場から)出て行かれた方もいるかもしれませんけれども、一個一個(の石の位置)を見てると、置かれている石の位置がひとつひとつ違う。これはアーティストが「ここしかない」と決めた場所だというわけですね。

水野: この空間に入った時に、壁にライトが当たっているじゃないですか。壁の上のほうにライトが当たっていて、石の置かれている状態にも目が行ったんですけど、壁とか全体の上にほうに意識を向けられている感じがしたんですよね。石を置く時に、ライティングのセットとか意識されたことはあるんですか?

高島: 本当はライティングは無いほうが良いですけどね。山重さん(*)に「夕方になったらもう暗くて何も見えないよ」と言われて、もしラインティグするんだったら、天井全体が均一になるように(したかったが)・・・それは難しいと。(* 山重徹夫(やましげてつお) 中之条ビエンナーレ総合ディレクター)

水野: 今日(高島さんの作品会場を)見たら、いつ刺されたわからない画鋲とか刺さってて、うちの母に聞いたらあそこに昭和28年から2年間くらい通ったらしいんですよ。そのことを聞いて、「うちの母親が小さいときにここに通ったんだ」と思いながら見てたんですけど。そういう色んな想いがして、拝見してたんですね。地元の方ももしかしたら関わった(方もいるかもしれない)。

田島: 「学校」であることが大きな意味を持っているんですよね?

高島: そうですね、こういった展覧会に参加すると、けっこう廃校になった学校っていうのが会場になっていて・・・色々な意味で、今の状況とか、文化状況とか、社会的な状況が反映されていて、色々なことを考えさせられます。要するに教育っていうのはとても大事なんですよね。子供たちが使った空間というのは、色々な意味で・・・自分自身もそういう場にいますから*、そう思うのですが、時には教えることの責任を改めて感じてしまいます。(* 高島氏は教育者として教鞭を取っている。)

田島: 戦時中は学校が、軍国主義の教育の拠点になった。国のために戦って死になさいと、という時代があって、教員の仕事をしている高島さんが、松代のズリを持ってきて、この場で(制作行為を)やると。歴史の確認という意味も含んでいると私は思うんですけど。

高島: なにかそんなに大上段に構えてね、そういうところだけを見たり考えたりはしないんですけど、もっとなにか大きくね、今の日本の状況とか、世界の状況とか考えた時に、やはり教育の力というのは、凄く大きいなと思いますね。このあと幾つか作品を(見せますけれども)空間だけを確認するのではなくて、そういう状況とか歴史とかも確認する仕事をやっています。

田島: 大変興味深い話で、これだけで(今日の話が終わってしまうほど)ですが。こういう話を聞くと、この(旧五反田学校の)作品がだいぶ違ったように見えてくると思うんです。

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「関係Oct.2005 in 大谷」/ 自然石にアクリル、ゴム糸 / 10 x 20 x 6m /大谷資料館(栃木)/​「還流-共鳴・共振する場」

高島: これ( 大谷石採掘場でのインスタレーション)はね、2005年。石とテンションの仕事をやった、最初の作品なんですよ。場所は大谷石を切り出した後の空間ですね。ここでは(1980年代後半)「大谷地下美術展」とかいろんな展覧会が行われていますが、僕が参加したのは「還流」という展覧会です。石は川にある角の取れた自然石です。それを立てるようにして置いて、上から見える部分だけを白くマーキングした、要するに床に対して垂直の視線を意識し、地面に石を置くという行為を行なったのです。それを先ほどと同じように空間を歩きながら、ここと、ここと、ここ、というのを自分の身体と合わせながら置いて、ゴム糸を引いた作品です。

  今思い出しましたけれども、脚立の上に登って、大谷石の天井に釘を打ったのですが、僕がおっかなびっくりやってたところへ田鶴濱(たつるはま)さん*が来て半分以上やってくれたんです。

水野: 今出てきた田鶴濱さんという人は、僕の親友のお父さんで、この間(高島さんと)ラーメン屋で話してたら、たまたまつながったんです。(* 田鶴濱洋一郎:現代美術作家。墨を使った平面作品で知られる。長男は陶芸作家の田鶴濱守人)

高島: この時はこの天井が高い石の空間を確認するっていうことでした。

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​「中之条の壁 /あるいは中之条地区で消費されたダンボールの箱を積む」2013年

高島: これは、4年前の第4回中之条ビエンナーレに参加した時の作品で、暮坂峠の花楽の里の円形のギャラリーに設置しました。これは中之条で使われたダンボールの箱です。畳まれて破棄されていたものをもう一度持ってきていただき元の箱の形にして、それを積み上げて、中之条の壁・・・単純な壁なんですけど・・・を作りました。この時は日本の消費社会や流通など中之条の経済的な状況なども、間接的に確認できれば良いかなと思いました。 良く見ると色々な商品名とかダンボールの商標が入っていて、中之条で生活する人々の日常の消費生活の姿を伺い知ることができて個人的には好きな作品です。

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「関係 Aug.2009 -木と木の間を確認する」/ 木、合板、アクリル/180x600cm/Art Meeting 2009田人の森に遊ぶ

高島: 確認する作品が続きますが、これは木と木の間を確認するというもので、白い薄い合板で作った輪を木と木の間に挟みました。普通は幹とか枝を対象に使いますがあえて間の空間を辿ってみせるという作品です。

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「用意されている絵画 July.2016-眼の記憶と記録」/ クレヨン、使用済クラフト用紙

 これは先ほど、日常という言葉がありましたが、たまたま自分の周辺に来る(配達物の)コピー用紙ですがクラフト紙に梱包されて届けられます。包まれているクラフト紙を破らないようにして、平らにしてそれを支持体にして、黒いマーク・・・クレヨンで点や線をしるしたものです。

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「用意されている絵画-July.2017 -シカクヲカクー」

 これはですねギャラリー空間で発表している仕事ですが、表面は綿布です。これは白く地塗りしていない生キャンバスで、それをそのまま使います。キャンバスの歴史性というのが気になっていて、キャンバスの物理的な構造も含め作品として考えています。内側に木枠が入っていますが、木枠は自分で作っています。キャンバスの周りはあえて後ろに折り込まないで、「キャンバスというのはこういうものが張られているんだよ」と、分かるようにして展示しています。正方形のキャンバスを見て確認し、次にキャンバスの四角を見ながら四カクを描くといった方法をとっています。

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「用意されている絵画 Sept.2015 -シカクニフレル-」

 同じように紙を使って、紙の質感というか、絵画の支持体を意識しながら紙だからこそできる展示の仕方を考え、折った形で展示しています。

シカクヲカク ― 背中で見る  (高島芳幸)

田島: あの、今のキャンバスの作品なんですけれども、四角をかく(シカクヲカク)いうタイトルなんですけど*、カタカナで シカクヲカク というタイトルなんですがこれは、四角い図形・・・四角を描くという意味と、視覚・・・「みる」というものを描くという、二つの意味があって、「シカク」「ヲカク」という掛け言葉になっているんですね。タイトルがタジャレじゃないんですけど、我が国には掛け言葉という俳句や短歌で使われている伝統があって、英語だとpun(パン) というのですが、アーティストは20世紀以降、よく使うんですよ。デュシャンもそうですけど。「四角」と「視覚」があって、いきなりこの字(シカク)がポンと入ると全然関係ないものがスパッと繋がって、世界が開けるんですね。(*本当のタイトルは「用意されている絵画」である。「シカクヲカク」は高島氏が個展のときに用意したテキストの文中の言葉である。田島は「シカクヲカク」がタイトルと言っているが田島の勘違いである。)

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高島: シカクという言葉には両方の意味あいを込めてます。もちろん読む人に任せていますが。

田島: キャンバスの作品はとても難解な作品だと思うんです。視覚を描く、視ている状況を描くっていうのは、出来ないことですよね、普通。 それを・・・やるわけですよね。

高島: うーん

田島: うーん

水野: 今僕ちょっと聞きたいのは、キャンバスは四角いじゃないですか。それを見ながら描くとおっしゃってたんですけど、描く時は近づいて描きますよね。だから、四角全体は見えてないということですよね。

高島: 描く時には(全体は見えない)。だから、背中で見る。

田島: 背中で見る?

高島: いや、みんなやってる筈なんですよ。背中で見てるはずなんですよ。大きい作品かくときには。まあね、変な言い方ですけどね。

水野: イメージの中で見てる?・・・

高島: イメージとか思い出してというんじゃなくて、確実に・・・

水野: 意識として・・・

高島: 映像的なイメージとか、思い出して、ではない。僕がそうやって、やる。

水野: 意識の張り巡らせ方としてその瞬間があるっていうことなんですよね?

高島: そうですね。ギャラリーでやるときは、キャンバスは2メートル13センチあります。木枠が198センチ・・・。ちょうど僕がフワッと入れるような空間なんですね。キャンバス自体っていうのは、僕にとって対等のもので、物理的に手を広げて・・・もしくはそこに入る。 要するに僕と同じような存在の大きさと強さで、壁にあって欲しいという訳で、できるだけ個展の時はこの大きさのものを使います。それから、なぜ正方形を使っているかというと、横長になるとヒトってそこに無意識に風景的なものを見てしまいがちですね。逆に縦長になると人・人体を意識してしまう。そういうところからも自由なところでキャンバスと純粋に対峙したいということで基本的には正方形を使っています。

田島: この正方形に引かれた線なんですけど、これが四角をかいていることなんだと思うんですが、このようにキャンバスとの間の距離を感じて、筆を・・・

高島: これはコンテや木炭ですね。

田島: ・・・コンテや木炭を(キャンバスの面に)降ろすわけですね。それは・・・ここで描かなきゃいけないっていうところがあって・・・

高島: うんそれはその・・・ズリを置くのと基本的には同じことですね。 で、これ今(田島さんは)シカクヲカクという(のがタイトルだといいましたが)、「用意されている絵画」っていうのが(本当の)タイトルで、最初の頃は点が一つか二つくらいしかなかったんです。最近やっと少し(点が線になって)つながってきて・・・四角をかこうと。最初は四角いキャンバスを「見る」ことの記録のほうが先で、点だったんですね。そのうち四角いキャンバスの中に四角をかく、四角をかくということはどういうことかと、(いうことを考えて)やってる仕事です。

田島: 背中で見てるとは思わなかったんですけど・・・(会場笑い)。この方はこういう重要なことを、あんまり話してくれない人でして・・・。

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「関係 Aug.2007 in 東京都美術館 ー2005年11月から2007年6月にかけて首都圏で開催された美術館のポスターを東京都美術館の床におくー」

10m x 10m / ポスター、自然石、ジェッソ、ICテープ/現代アーチストセンター展

田島: (高島さんの作品で)・・・東京都美術館の彫塑室でやったもので、これは美術展のポスターを並べて構成したインスタレーションです。石を置いています。これは美術の歴史の一部を確認するっという(作品ですね?)・・・

高島: そうです。僕は1953年生れなんで、大学卒業した1976年頃は「絵画は死んだ」って言われていた時代なんですね。もうモダニズムとフォーマリズム・・・近代絵画がずーっとやってきた仕事が行き詰まって、要するにもう、それ以降、絵は、もう引用とか、そういうことしかない。要するに新しい展開はもう無い。「絵画は死んだ」っていわれていた時代に、曲りなりにも少し絵を勉強して、これから絵を描きたいと社会に出た時に、そういう状況だったわけです。それは僕だけではなくて当時は美術や絵画をもう一度原点から考え直してみようする動きがあって、もの派だとか、インスタレーションというのは絵画の仕事をしていた作家が従来の絵画の形式を超えて手に入れた形式だともいえる訳ですね。何か美術の歴史みたいなもの、美術の俯瞰みたいなもの、さっきの(ダンボールの)空き箱(の作品)、なんかそういうものも含めて、確認をするというのが僕にとって絵を描いたり作品を作ったりする始めだったんですね。

 ポスターの作品に戻りますが、東京都美術館というのは・・・明治になって日本に「美術」が入ってくるわけですが、「美術」という概念も言葉も日本語にありませんでした。明治になって作られた言葉です。日本には「自然」という言葉もなくて明治時代に作られたものです。東京都美術館っていうのは明治以降の美術、特に官展の発表の中心となってずーっと今まで・・・いろんな考え方ありますけど・・・中心として作られた場所なんですね。そこの場所に、2005年11月から2007年6月までの・・・1年半くらい(の間に)、東京都美術館以外の首都圏の美術館で行われた展覧会のポスターを床に置いて作品にしました。本来はポスターですから壁に貼るところを、すべて床に置いて、床の上のポスターに自然石を・・・床に置くべきものとして一番自然なものとして石を選んで・・・ポスターのところに、ここというところに置いて設置した作品です。要するに高島芳幸という個人が現代の日本の美術の歴史の一部を確認するという作品です。

田島: 確認というのも色んな意味があって、空間的な確認もあり、意味的な確認、歴史的な確認、いろいろな確認があります。高島さんは手つきというか作風が非常にノーブル(高潔)で、ミニマル(最小限)で、私は肉体派だったんですけど、肉体で確認するんじゃなくて知的な感じで確認をされている・・・

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