Discussion
芸術家はなぜ作品をつくることができるのか?
中之条ビエンナーレ2017
2017年9月30日
群馬県中之条町 つむじホール
高島芳幸 / 水野暁 / 田島鉄也(コーディネータ)
左から高島芳幸、田島鉄也、水野暁
イントロダクション:アーティストの心の中で何が起きているのか?
田島: ディスカッションを始めたいと思います。まず私からこの企画の趣旨というか目的を申し上げます。私は、アートについて話すのが好きです。特に深い話をするのが好きです。この中之条ビエンナーレにはシンポジウムや講演会はありますし、アーティストトークもあるんですが、今一つ深く突っ込んだ話をする機会がないということがありまして・・・またアーティストどうしで話をするんですけれども、大概、酒が入りまして、その場に居る人しか聞けないし、翌朝、自分の言ったことも良く覚えていないということもあって、議論が流れ去っていくのが非常に惜しいと思いまして、是非、自分が話を聞きたい人と、じっくり話してみたいなと思いました。話するなら、皆様と共有したいと思ったのが趣旨です。要するに、深い、核心に迫るような話を、実直に、愚直に、アートについて考えて、語りたいという会です。
もうひとつ、なぜこのメンバーなのかということですね。単純に言えば私が是非話を聞いてみたいという人を二人、選んだということなんですが・・・高島さんについていいますと大変ミニマルで(最小限で)ノーブルな(気品のある)作品を作っていらっしゃるんですけれども、本人があまり語らない人で、語るのがあまり得意でない感じなんですけれども、ここは是非、ひっぱり出して、お話を伺いたいと思いまして来ていただきました。
水野さんについては、ご存知のとおりリアリズムの絵画をやっている方なんですが、日曜美術館でのインタビューを見ると、必ずしもそうとは言い切れない、現実というものをどう捉えたら良いのかということを模索しているようなところがあったので、興味深い人だなと思いまして、声を掛けました。お二人とも芸術について語るということについて私の誘いを受けていただきました。
「芸術家はなぜ作品をつくることができるのか?」という問いなんですけど、何が問われているかというと、作品の制作の意図、または制作しているときに、心の中で何が起こっているのか?作家は何を感じて何を目差しているのか? ということを、つぶさに、出来るだけ詳しく語って欲しいということなんです。これは非常に難しいことです。アーティストにそんなこと聞いても、わからないです。わからないんですがそれを無理やりにでも語ってください、というのが、この会です。深層を語る、声を絞り出すようにして語る、ということです。
全く違う作風の三人のように見えると思いますけれども、実は通底しているものを感じたからこの二人にお声がけさせていただきました。そこで共通するものがもし見いだせたとすれば、普遍的な何かに触れているということであると思うので、そこにアートをやる意味とか意義とかあると思うんです。そこまで議論ができれば、自分としては、このディスカッションは成功だと思います。
実は事前に打ち合わせをしまして、自分なりにキーワードをいくつか拾ってきております。あとでそれも話題に上ると思います。本日、一人20分から30分話をする時間をとっています。まず私が、田島が話します。次が高島さん、最後が水野さんという順番でやります。
身体/社会 (田島鉄也)
田島:それでは私からお話をします。
まず経歴から紹介しましょうか。日本大学理工学部物理学科を卒業しました。美大は出ておりません。大学時代はサークル活動で美術をやっていたのですが、本格的に美術を学んだというのは、コンテンポラリー・アート・セミナー・イン・北九州というのがありまして、そこでマリナ・アプラモヴィチとローレンス・ワイナーと数日間にわたって指導を受けたというのが私の大きな影響の一つとなっております。それから展覧会・・銀座の「ギャラリー現」とか、中之条ビエンナーレにも何回か出しています。
それで最初にバックボーンの話をしますと私、15歳くらいのときに神経症を患ったんですよ。電車に乗れなくなりまして、電車に乗るのが怖くて乗れなくなってしまいまして、10年間、20年間くらいそれで苦しんだんですけれども、で、少し良くなってアートをやるようになってから、じゃあなぜ自分が病気になったんだろうかと考えるようになりました。自分の精神や肉体と、電車という近代の産物がたぶん合わなかったんだろうと。どこかでコンフリクト(葛藤)が起きて、そういうものに適応できなかったわけですね。そして、身体と社会ということについて考えるようになりました。自分の肉体と、今生きている社会に、違和感があるということが契機になったのです。
水野:何歳から何歳くらいまでなんですか?
田島:15歳から・・・40歳くらいまで。
水野:結構長いですね。
田島:一番つらかったのは15歳でしたけど、だんだん、直ってきた。今は何でもないですけど。それで、自分で社会というものを確認したいと、自分の手で、肉体で、確認したいと思いました。
「 米糊を手で塗る」(公開制作)
米糊を手で塗る (完成)
絵の具で表現するのではなくて、食べ物、自分の身体に関わりがあるもので表現しようと思いました。(それで使ったのは)ごはん糊ですね。米粉を煮詰めるとべたべたになりますね。それだけでは色がつかないので、それに、竹炭のパウダーというものがあるんですが・・・竹炭パンとかいって食べられるものなんですけど・・・食物をつかってハンドペインティングをやったというのがこれ(fig 米糊を手で塗る)です。これで、農業という産業と自分の肉体とすり合わせるようにして確認するということですね。それで壁に(紙が)あるうちはこう(手で描く)なんですけれども、床に紙を敷くとどうしても、こう(体を床に投げ出すようなしぐさ)肉体でやりたくなる。
「米糊を肉体で塗る」
それで、やりました。床に敷いた紙にさっき言った米糊に竹炭を入れてのたうち回るということをやりました。
「じゃがいものために」正面から
これ(Fig 「じゃがいものために」正面から)は沢渡(中之条町沢渡)にある蔵ですね。昭和初期に建てられた古い蔵です。焦げ跡みたいなものが見えると思いますけれども、これは沢渡の大火があったときの焦げ跡です。ご存知かどうかわかりませんが、沢渡は昭和20年の大火で沢渡温泉全体が焼けるということがありました。空襲で焼けたのではなくて、失火によって焼けたんです。なぜかといいますと疎開に来ていた子供たち・・・200人くらい居たそうです。人口150人の沢渡に200人の子供が来たので食料が不足していました。そこである旅館の店主が、自分の土地に焼き畑を作ろうと思って(補足:ジャガイモを栽培しようとしていた)火を放った。そしたら折からの風にあおられて沢渡温泉全体を焼いてしまったという、大変痛ましい事故がありました。
「じゃがいものために」 部分 じゃがいもに似た石
「じゃがいものために」 部分 じゃがいも畑
私はこれをテーマとしまして、出来なかった筈のジャガイモを食べられない石で表現して、そこに偽りの芽が出ているという作品を作りました。その前には本物のジャガイモを植えました。作れなかったジャガイモと、本物のジャガイモの対比をやったわけです。私は中之条ビエンナーレに週末ごとに来まして、来場者に一日何十回もこの話をしました。そんなことやっていると、このことは他人事とは思えなくなってくる。まるで自分のことのように(感じてきて)、自分のことに間違いないと確信を持つようになりました。これは戦争というものがあって、やむにやまれぬ焦燥感があって、大変痛ましい失敗をしてしまった一人の男の話なんですけれども・・・これも食べ物に関わる話ですね。そういうことを自分に刻み付けるようにして作って、語った・・・ということをやりました。
「永遠の思考」 卵の薄皮
「永遠の思考」 卵の薄皮 部分
これ(Fig「永遠の思考」 卵の薄皮 )は、今日持ってきているんですけど、あのう・・・卵を食べると、殻の内側に薄い皮があるじゃないですか。それを引き剥がして、乾かしておくんですよ。そうすると乾くんですけど、それをずーっと20年くらい(続けていて)、そうすると或る量になったんでそれを展示しました。
(田島が大きなビニール袋から大量の卵の薄皮を取り出して床に撒く)
これも日常という時間と日常生活の行為、食べ物ですから肉体に関わるんですけどそれを造形に結びつけたということですね。
アスファルトを掘り返す
「永遠の思考」 アスファルトの穴
それから許可をいただいて、駐車場のアスファルトを引きはがすということをやりました。これは文明の産物であるアスファルトを自分の肉体で掘り返し、一部分だけ自然に返して、雑草の生えるままにしておくという(作品です)。機械を使って掘り返しちゃ駄目で、自分の肉体で掘り返さないといけない。それで社会と身体という確認作業であるわけですね。
「ぬか漬けされた資本論」
これは社会を食べるというコンセプト(の作品)です。社会を表している書物ってなんだろうと思ってマルクスの資本論が思い浮かんだんです。資本論を一週間ほど糠(ぬか)に漬けまして、ぬか漬けの資本論というのを展示しました。
思考や行動の枠組みを問う(田島鉄也)
こういうふうにやって来たんですけど、だんだん飽き足らなくなってきまして、この延長じゃだめだな、というふうに考えるようになりました。今まで見えなかった枠組みというものが見えてきたんですよ。問題設定を広げる必要があると。社会と身体の問題設定では限界がある、問いの立て方を変えなければならないと思って、「社会と身体」を左側のほうに寄せて一つにして、右側に「思考や行動の枠組み」というのを対置しました。今まではだから自分が社会によって抑圧されている、疎外されているよくありがちなストーリー・・・そういう物語の上に載っていたんですけど、そうじゃないんじゃないかと、自分の中から生み出される社会、生み出される制度、自分の中で渦巻いている権力、そういうものがあるはずだと。それというのは、内容と形式の問題でもありますし、実体とイメージや言語 ・・・これはアートのことですけど・・・ 今まではアートというまな板の上に自分の肉体とか社会を乗っけて料理してたんだけど、今度はまな板とか包丁とか料理の方法とか、そういうものを問うというふうにしました。
私、今言葉を使って話していますけれども、言葉というものを無意識に話しているのですがこれも社会的な制度で、これを問うとなるとちょっと困っちゃうんですけど、つまり言葉使って話すというのは無理なんです・・・というような矛盾する問題に取り組まざるを得なくなる。
「 Hotel Storm」
この社会の仕組み、あるいは自分たちの普段やってる行動ですね、そういうものを少し逸脱しなければならないと。実は私はそういうこと考える前から無意識にやっていたようで、1997年くらいかな、私サラリーマンやっていてその時は全国のいろいろなところに出張に行ったんですよ。それでビジネスホテルに泊まるんですけど、ビジネスホテルに居てやることがないので、そこにある調度品・・・ベッドとか椅子とかを床にゴロっと転がしたり、積み重ねたりして遊んでいたんですね。だんだん大胆になってきて部屋の中をメチャクチャにした。当時は写真といったってデジカメなんか無いですから「写ルンです」っていうあのう ・・・ なつかしいですね・・・ 使い捨てカメラを買ってきまして、パチパチ撮って、それをやったあと、それをキレイに元通りにして翌朝何気ない顔をしてチェックアウトするという・・・その写真をずっと発表せずに保存しておいたんですけど、このあいだ或る機会があって、出しました。(誰にも言わなかったので)もし発表しなかったら何もしなかったことになっていたわけです
〈野性〉論
自分の認識の外に出たいというか、自分が考えられないことを考えたいというか、そういうようなことをやろうという趣旨で、そのことを自費出版で本に著しました。
「 言語 イメージ 物」 (ポスター)
「言語 イメージ 物」 (教室)
今回の中之条ビエンナーレの出品作なんですが、何かというと、一つはこれです。(Fig (掲示板のポスター)。掲示板にポスター貼りました。もう一つはこれです(Fig(壁に文字がかかれた教室))。教室でインスタレーションみたいなことをしました。会場に行った方はこれ((Fig(壁に文字がかかれた教室))はご覧になったと思います。教室を出て、廊下の掲示板にもこういうものがあったことをたぶんお気づきにならなかったかと思います。これはガイドブックにも載ってないし、私が勝手にやったことです。作品としてのキャプションもついていません。気づかれないと思います。掲示板にポスターを貼るという行為は、単純で間違いがありません。しかしながらそれを作品として作って作品として提示するわけではないということに意味があります。つまり、中之条ビエンナーレの展示会という、まな板に対して縦切りに線を入れているような、そういう作品です。・・・わかりますか?
観客:「わかんない」(会場笑い)
田島:(笑)美術展示会というそのものを作品としているわけです。実はこれって目新しい手法じゃなくて、マルセル・デュシャン以来良く行われている手法でして、作品として発表しない作品、そしてあとから「実はこうでした」という・・・結構良くやられてます。こっち(教室)は床にポスターが敷かれてその下に日用品が置かれています。その周りを文字で埋め尽くしました。書かれている文字は、言葉に関しての論説です。中国の古代思想家の荘子とか、ミシェル・フーコーとか、そういった人たちが言葉・言語というものについて書いたもので、まわりを埋め尽くして意味的なバリアのようなものを作って、意味的な地ならしのようなことをして、そこにイメージと物体を重ねて置いているわけです。彫刻家だと木や石をつかって作品を作ります。
画家だと絵の具をキャンバスの上にのせて作品を作ります。こういう言葉とかイメージというものを使って、いってみれば言語の空間といいますかね、意味の空間、制度の空間、そういうものをある種の空間ととらえて、そこにこういう表現をするというやり方で、こっち(教室)なりこっち(掲示板)なり意味空間、言語の空間を行ったり来たりして楽しむという作品です。こっち(教室)がメインで、こっち(掲示板)がオマケじゃないんですよ。両方とも同じ重要性を持っています。二つは対になって一つの作品になっているというわけです。
そういうわけで私は、自分自身にとって役立つものを作りたい。今の自分というものの在り処っていうのが、どうやってつくっているのかということを、最初は肉体を社会にこすり合わせるようにしてやってたんですけど、そうじゃなくて自分自身がどのように考えてどのように表現しようとしているのか表現手法そのもの、あるいはアートそのもの、あるいはこの展示会というものに対しての、そこをある種のメディア・・・ 彫刻家にとっての石、画家にとっての絵の具というものと捉えて作品を作っています。
えっと、なんか質問ありますか? 水野さん。
水野: スライドを見せられて感じたことは、最初の電車の話がありましたが電車に乗れなかったりしたとのこととか、そういう体験があって一番最初のやつですか、食物とかを使ってドローイングした作品があったと思うんですけど、ああいうこととか、20年でしたっけ、20年集めるってサラっと言ったんですけど結構(長い)ですよね。そのなんか・・・僕が興味があるのは、田島さんの身体とか日常に結構深く関わっている出来事が引っ掛かったかなと思うんですよね。例えば、この卵の殻の内側の皮を集めようと思ったきっかけというか、その時の感覚みたいなのをちょっと聞きたいなと思うんですけど。
田島: あのう、うちの親父が農家の出身で、切り干し大根とか、梅干しとか、乾かしものを軒先でやってたんですよ。それ見てて、日常のものを乾かしといたらどうだと・・・それです。それで、果物の皮も集めてて、それはそれでキレイで良かったんですけど、果物の皮は腐っちゃったので、捨てざるを得なかったんですよ。この卵の殻と殻の内側の皮は、腐りもせず残っていたんです。
水野: いろんな食べ物で実験してたわけですか?
田島: そうです。これ(卵の皮)は生き残ったものです。あまり努力してやってなくて、洗濯物たまると洗濯するじゃないですか。それと同じです。台所には卵の殻入れがあって、そこに溜まると、ぺりぺりと剥がす作業をするということです。
水野: で、発表したのが20年後ですね。
田島: はい
水野: そのタイミングとかって、なんかあったんですか?
田島: それは・・・、六合(「くに」と読む:中之条町六合)の公民館を見たからじゃないかな*(* 田島の卵の薄皮作品を展示した会場は、六合の赤岩地区という伝統的建物群が保存されている地域にある公民館だった。)
水野: 会場をみて・・・
田島: 赤岩の公民館を見て、これ(卵の皮)もある程度溜まってきたから、ちょうど設置出来るな、というタイミングだったんです。
観客A: この卵の皮を20年間溜めてたという目的は何だったのか、いまこういう形で表現してる機会があるんですけど20年間どういう意味合いで溜めてたのかということが知りたいです。
田島: たぶん、多くなれば多くなるほど、ある別の意味での見ごたえというか物質としての存在感が出てくるなということは想像ついていました。だけど計画を立ててやっているわけじゃないです、20年やろうとか。別に努力しているわけじゃないです。
観客A:テレビだかどこかで聞いたことあるんですけど、この薄皮っていうのはケガしたときにこれを貼るとすぐなおるというんで相撲取りとかプロレスラーとかよくこれを使うんだっていう話を聞いたことあるんですよ。薄皮を貼っとくとすぐ治るんだそうですけども、そういう意味合いなんていうことはあるんですか?
田島: えーっと、ありません。
観客A: 貴重なもののような気がするんですけど
田島: あとからそのように(傷を治す効果があると)聞きましたし、確かに腐らないということは、雑菌がわかないという意味で消毒とか(の効果があるのでしょう)、あとタンパク質がよく効くんじゃないですかね。
高島: 僕もね、田島さんの話聞いてて、なんかわかると思うのはこのあと、僕も(このあと)作品を紹介しますけど、ものを作ったり作品つくったりするときに、一番なんかこう頼りになるというものは、要するに自分とは何かということはわからない・・・(しかし)自分の身体。身体的な部分についてはなんか或る確信がある。それから自分以外のもの・・・物質っていう・・・これもなんかあるかな。それからあともう一つ日常という時間ね。これはやはり頼りになるっていうか信頼できるっていうか、少なくとも今の自分にとって。それを元に何かできるんじゃないかなというところで、田島さんの話きいてて、ああ何か分かるな、リアリティっていうか自分の中で確信みたいなもの、の一つなんじゃないかって話聞いてて思いました。
田島: 「身体」、「モノ」、「日常」、というキーワードを出していただいてありがとうございます。この流れで高島さんの話を・・・