アパートの四畳半で
おふくろが変なことを始めた
おまえもやっと職につけたし三十年ぶりに蚕を飼うよ
それから青菜を刻んで笊
(ざる)に入れた
桑がないからね
だけど卵はとっておいたのだよ
おまえが生まれた年の晩秋蚕だよ
行李の底から砂粒のようなものをとりだして笊に入れ
その前に座りこんだ

毒虫飼育
​1959年

黒田喜夫

養蚕について調べるうち、私はこの詩を思い出した。

詩人の黒田喜夫(くろだきお 1926-1984)は 山形県の生まれ。高等小学校(現在の中学校にあたる)を卒業後、上京し京浜工業地帯で工場労働者として働いていた。山形でも養蚕は盛んだったので、郷里から引き取った母親が養蚕を懐かしんだとしても不思議ではない。

この詩が書かれたのは1959年、日本は生糸などの軽工業から重化学工業へ変遷する途上であった。

場所は煤煙の立ち込める工業地帯にある安アパートの一室であろう。

詩の後半、卵から孵った虫は、蚕ではない別の虫であり、それでも母は蚕が誕生したと信じて喜んでいるというシュールな展開となっている。

実際のところ、母は蚕を飼いたいと言っただけか、または本当に飼ったのかは定かではない。また詩に描かれているように別の虫が孵化して母がそれに気付かずに喜んだということは黒田喜夫の創作であろう。

​しかし、詩人の母が蚕を飼いたいと言ったのは本当であろう。蚕を飼い始めるきっかけは<息子が職についたから>。何かしら余裕ができたので、自分の楽しみのために飼い始めたというわけである。

殺伐とした都会の風景の中で、母は蚕を育てるという心の潤いを得たかった。​母は卵が孵化するのを本当に楽しみにしている。

この詩から、次の2つのことがわかる。

一つは、養蚕は家庭内で行われるということ。

他の農業は、野菜の栽培でも豚の飼育でも、人間の生活する場所とは分けられているものだが、蚕だけはなぜか家の中という私的空間で行われてきた。詩人の母は四畳半の部屋で蚕を飼おうとする。

もう一つは養蚕は主として女性の仕事であり、しかもそれは単なる労働ではなく、蚕に対する愛情ともいうべきものがそこにあったということである。

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​蚕
​by 巳巳

この詩の持つ衝撃は、現代人の日常に、蚕という「異物」を突き付けたことにある。

蚕というものは、およそ現代人の生活とは相容れない。

蚕は飼うのが難しく、寒暖や湿気に弱く病気などで繭をつくらないこともしばしばあり、人間にはどうにもできない「わからなさ」「得体の知れなさ」をまとっている。

そしてその反面、純白の糸を生成するという「高貴さ」「尊さ」も備えている。

養蚕業は、近代性(均質化、標準化、効率化)とは相いれない、人間の身体感覚や感情を内包した、特殊な産業だった。

大規模農場で集約的な養蚕が試みられたことがあったが失敗に終わり、結局、養蚕は個々の農家の生活空間の中で行われてきた。


それは主に養蚕の働き手であった女性たちの、子を育てるような心情や身体感覚と密接に結びついていた。

寝る場所以外はすべて蚕棚になったという家の中で、蚕を育てることは単なる労働と割り切ることはできない。ほとんど育児と同じであったと言っても良い。

このように養蚕とは、私たちが敬い、畏れ、敬服している何かを含むものであり、近代にはどうしても回収できない何かである。

近代がどのように整備され、合理的・効率的であろうとしても、「お蚕(こ)さま」は思うようにできない。そして「お蚕さま」を飼おうとする母のパワーも。

このことにおいて「四畳半で蚕を飼う母」は、京浜工業地帯すべてを無にしてしまうようなチカラを持っている。

​アパートの四畳半でおふくろが